身を以て知る小説『モモ』の時間概念

5月12日

新型コロナ以降、無理に仕事を入れるのをやめ、少しでも嫌だなと思ったら仕事をしないことにした。そうしてゆとりのある暮らしをすると1日の時間が長くなった。

今『モモ』を読んでいるのだが、時間の効率化をすることで余計に余裕が失われることもあるのだなと身に沁みてわかった。自己啓発書などによくある時間管理術では、時間は有限なのだから無駄な時間をなくしてその分を優先すべき領域に充てよ、時間泥棒は切り捨てよと説かれている。

『モモ』を読むとその類の書が有害であることがわかる。『モモ』で提示される時間の概念は、現代の時間管理術の対局にある。むしろ、効率化を美徳とし、早く安くを唱えることはモモの敵である灰色の男たちが勧めている世界だ。彼らが無駄と切り捨てるものがどれほど人生を充実させているか、街の人達は失ってみて初めて知るのである。

灰色の男たちが言うとおりに、お喋りや遊びをやめ、金にならない客は切り捨てて効率化し、たくさん仕事をこなしたのにちっともゆとりを感じない。余るはずの時間はいったいどこにいったのだろう。貯まったお金も次々と提供される消費財に消えていく。やがてそれも手に入れたところで満足感が得られなくなる。なんのためにあんなに頑張ったのか。人々は当惑する。

わたしのような在宅で仕事をしている者は、依頼を次々と受け、それを高速でこなしていると毎月があっという間にすぎていく。一人PCに向かって黙々と仕事するだけなので、時間も曜日も関係ない。このスタイル自体、好きで選択していることだが、やはり1つずつ案件を仕上げているうちに1年が終わるというのが常態化するとさすがに虚しい。

『モモ』の世界観は理想論であり、おとぎ話だと大人は思いがちだ。けれど、積極的にさぼってみて、1日の長さを痛感すると、やっぱり本当だったんだなあと今更ながらエンデの偉大さを実感する。